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会社から徒歩10秒!イセザキモールの今昔写真 歴史を知ってこの町を好きになりました

  • オオタニ  2019/10/31 17:26
イセザキモール正面(令和)

こんにちは。事業開発部 大谷です。

 

最近、本当に食べることが好きで楽しくてどうしようもなく(お酒も)、なんと7kgも太ってしまいました。。。

このままじゃあヤバイ!と思いつつも、今日のランチもご飯をお替わり。。。

ムラカミさんに習って『カラダ革命』しようかな。。

(ムラカミ記事 『カラダ革命はじめました』)

 

 

そんな私、ランチは基本外食です。

部内には#オフィス飯をする社員もいるのですが、会社のすぐ近くにイセザキモールがあり、食事処がたくさんあるため誘惑がいっぱい!!

今のオフィスに越してきてからランチに困ったことがありません。(だから太った説)

 

そして、いつもPRONTO エクセル伊勢佐木モール店でランチ後のコーヒーを飲むのがルーティーンになっているのですが、このPRONTO エクセル伊勢佐木モール店、いつも当たり前のようにコーヒーを飲んでいるのですが、実は外観の趣がハンパない。

イセザキモール 越前谷 寿屋 松坂屋西館1(令和)
※外観写真(エクセル伊勢佐木(旧横浜松坂屋西館))

 

歴史を感じる建物ですよね。

 

それもそのはず、昭和6年(1931年)建築で、横浜市認定歴史的建造物と認定されている貴重な建物なのです。

普段、当たり前のように過ごしている『イセザキモール』。

 

実は昭和初期、伊勢佐木町には一日20万人が集まり、銀座の「銀ブラ」と並び伊勢佐木町を歩くことを「イセブラ」と呼びとても栄えていたようです。

そんな当時の栄えていたころ、この町はどんな様子だったのか興味が湧き調べてみましたので、過去の写真と現在を比べ、お話させていただきたいと思います。

 

 

イセザキモール今昔写真【昭和初期】

1921年(大正10年)
イセザキモール大正時代

横浜地図データベース

※横浜都市発展記念館 より引用
関東大震災1923年で焦土となる直前の横浜の景観を描いた稀少な鳥瞰図。
「横浜名所案内図絵・市街電車案内」
年代:1921年(大正10年)

 

まずはこちらの画像。

1921年(大正10年)の伊勢佐木町周辺の鳥瞰図とのこと。

伊勢佐木町の町並みがイメージできますね。

 

伊勢佐木町通りは商店が多く立ち並び、賑わっていたそうです。

そんな中、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生。

ここ、伊勢佐木町は建物の倒壊と火災により、ほぼ壊滅状態となってしまったそうです。

 

そんな震災から約10年後、昭和に入る頃には、目覚ましい復興をとげていたそうです。

以下はその当時の地図です。

昭和初期
イセザキモール 昭和初期

モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
横浜の中心市街は1923年(大正11年)の関東大震災で壊滅しました。しかし、その後10年ほどのあいだに横浜は目覚ましい復興をとげ、街並みは一変します。ほぼ同時期に「モダン」と呼ばれる新しい生活スタイルと文化が都市部を中心に全国的に生まれつつあり、それは横浜の街にも入り込んでいました。「モダン横浜」とは、震災から復興しつつあった昭和はじめの「モダン」な横浜の街のことを指しています。
年代:昭和初期

 

 

区画も新たに整備され、「モダン横浜」と呼ばれるほど、現代的な街並みに生まれ変わっていたそうです。

そんな昭和初期(昭和元年~15年)にイセザキモール(伊勢佐木町)に存在していた各施設。

現在も残っているものが多数ありますので、この地図上の施設の一部と、追加で少し、今昔写真で見比べていきたいと思います。

 

吉田橋

1929年(昭和4年)
イセザキモール 吉田橋

モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
伊勢佐木町方面から馬車道方向を望んで撮影したもの。
年代:1929年(昭和4年)

現在(2019年)
イセザキモール 吉田橋(令和)

構図違い、お許しください。。

大きな違いは何と言っても川ですね!大岡川が埋め立てられ(戦後)、今は首都高速が走っています。ムラカミさんも驚いてました。

吉田橋のことは語ると長くなってしまうので、リンク(wiki)をご確認ください。

ポイントは、幕末期この吉田橋関所となっていて、馬車道側が『関内』、伊勢佐木町側が『関外』と呼ばれており、現在も『関内』と呼ばれる由来はこの吉田橋関所が関係しているということです。

 

 

イセビル(伊勢佐木ビルディング)

1927年(昭和2年)
IMイセビル

モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
吉田橋から伊勢佐木町の通りに入る右手角地にそびえる伊勢佐木ビルディング(通称イセビル)。1927(昭和2)年に建築された。
年代:1927年(昭和2年)

現在
イセザキモール イセビル(令和)

いや~。ホント当時のまま残ってますね!

このイセビル。

 

関東大震災からの復興建築の尖端を押し切って進んだビルだったそうで、当時は反対意見もあったそうですが、この吉田橋から始まる伊勢佐木町のシンボル的役割を果たしたようです。

イセビル内もレトロ感溢れる、当時のままの内装となってます。

 

 

松屋

1930年(昭和5年)
イセザキモール 松屋

モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
尾上町から見た松屋吉田橋支店。野沢屋と並ぶ戦前の横浜を代表する百貨店。1930(昭和5)年10月吉田橋際に7階建てのビルとして新装開店した。
年代:1930年(昭和5年)

現在
イセザキモール 松屋(令和)

お気付きいただけましたでしょうか?

そうです。現在は道路となっており建物の痕跡すらありません。

当時は『松屋 吉田橋店』として、イセビルと並び伊勢佐木町に入るシンボルの両翼的存在であったようです。

ちなみに、上部に大正時代の鳥瞰図を載せましたが、元々この場所には警察署があったようです。ただ、関東大震災により倒壊し、移転する事になったため松屋が買い取り、この地に百貨店を建てる事としたようです。

戦後、日本海軍やアメリカ進駐軍の病院→三和銀行へ売却→昭和47(1972)年に高速道路化計画に伴う区画整理のため撤去となったようです。

(石碑か何かあるかな、、、と探しましたが見つからず。ちょっと寂しい気持ちになってしまいました。)

 

 

野澤屋(横浜松坂屋)

1935年(昭和10年)
イセザキモール 野沢屋(昭和初期)

モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
野沢屋呉服店は1909(明治42)年に伊勢佐木町支店を開業、1921(大正10)年福富町側に鉄筋コンクリート4階建ての建物を建築し、近代的な百貨店に衣替えした。戦前・戦後通じて横浜を代表する百貨店である。
年代:1935年(昭和10年)

現在

IM野澤屋(令和)

横浜の代表的な百貨店であった野澤屋。語ると長くなるので戦後からの流れを要点のみ。

 

ライバル横浜高島屋の出現

1960年(昭和35年)東京証券取引所に上場(資金調達のため)

翌年1部上場

1971年 株の買占めにあう

松坂屋に防戦買いを依頼(松坂屋が筆頭株主に)

1977年『横浜松坂屋』と改称

さまざまなてこ入れをするも累積赤字(約22億円)解消の目処が立たず2008年10月26日で百貨店の営業を終了し、閉店。

 

 

ゆずがストリートライブをやった場所はここ横浜松坂屋前です。

現在は、カトレヤプラザ伊勢佐木というショッピングモールになっています。

(㈱大丸と㈱松坂屋ホールディングスが経営統合して生まれた会社、J.フロント リテイリング㈱が運営しています。)

 

 

 

越前屋(寿百貨店)

昭和戦前期
イセザキモール 越前屋 寿屋 松坂屋西館(昭和初期)

モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
左手中ほどの白い建物が寿百貨店。もともと所在した越前屋は、1932(昭和7)年5月に負債を抱えて店を閉じた。12月に合名会社山越として再開するが、1934年に閉店。店舗は松屋(吉田橋に横浜店があった)が購入し、同年6月鶴屋として開店したが、7月寿百貨店と名称を変更した。画像は1934年以降の景観か。
年代:昭和戦前期

現在
松屋伊勢佐木エクセル構図を同じにしたら物見えないですね。。

先ほど書き出しで紹介したエクセル伊勢佐木(旧横浜松坂屋西館)です。こちらも歴史が動いている建物で要点のみで。

越前屋

1932年閉店。同年、合名会社山越として再開

1934年閉店→同年、松屋(吉田橋際にあった百貨店です!)が購入し鶴屋として開店

同年、寿百貨店と名称を変更

1977年横浜松坂屋に譲渡

同年、横浜松坂屋西館として営業

2000年JRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)に。

壮絶な歴史ですよね。この建物はこの歴史を歩んできた建物なんです。

 

 

有隣堂

1939年(昭和14年)
イセザキモール 有隣堂(昭和初期)

有隣堂
※有隣堂 より引用
年代:1939年(昭和14年)

現在

MVIMG_20191030_144824 (1)

明治創業の横浜を代表する書店です。この伊勢佐木町店が有隣堂本店です。

当時と同じ場所で、今も尚営業しているって、本当にすごいことですね!

 

 

不二家

1937年(昭和12年)
イセザキモール 不二家(昭和初期)

不二家
※不二家 より引用
伊勢佐木町店新築開店(現横浜センター店)
年代:昭和12年

 

現在
不二家 令和

1922年(大正11年)にこの伊勢佐木町に出店(2号店)したそうです。そして、なんと日本初のショートケーキを販売したとのこと!

歴史的な場所ですね!

 

 

オデヲン(横浜オデヲン座・ニューオデオンビル)

昭和戦前期
イセザキモール オデヲン(昭和初期)
モダン横浜歴史情報マップ
※モダン横浜歴史情報マップ より引用
1911(明治44)年創業のオデヲン座は大正から昭和戦前期の横浜を代表する映画館。大正期には輸入映画を全国に先駆けて上映し「封切館」として名を馳せた。震災後は経営が平尾商会から六崎市之介に代わったが、外国映画をメインとして営業を続けた。1936(昭和11)年、隣接する又楽館(映画館)の敷地をあわせて鉄筋コンクリート造の新館を建設した。
年代:昭和戦前期

 

現在
オデヲン 令和

 

ドン・キホーテになってる~~~。

オデヲンも本当に伊勢佐木町を語る上では欠かせない歴史ある場所。詳細はwikiをご覧ください。

 

 

最後に

今回、イセザキモールを調べ、歴史を知る事でこの町を好きになる事ができました。

また、日々このイセザキモールを歩く中で、歴史を垣間見れるところがあるのでは?と、気にして歩こうと思いました。

 

何か歴史的なモノや楽しそうな発見があったら私のTwitter(@ISootani)で発信していけたらと思っています。

そんなことをいつものように食後の珈琲を飲みながらオモフ私でした。

PRONTOイセザキモール店

 

 

 

以上、事業開発部 大谷でした。ではまた。


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